4月 2025
逃げられない親知らず3
そんな押し問答が2,3ラリー続き腹をくくりました。 「先生お願いします!」 「分かりましたそこまでおっしゃるのなら今日やりましょう!(初めてやりますが)」 こちらこそお願いしたい立場です。 麻酔をして歯茎を切って真横に向いてる歯の頭を削って抜く。ただそれだけの事なのですが実際にはそうはいきません。 口の中は狭いのです。 あっちっこっちザクザク出血させながらもなんとか抜く事ができました。 人間腹をくくればやれない事は無いなと今でも覚えてます。 トータルで1時間半かかりましたが、今ではどんなにやばいのでも45分以上かかる事は無くなりました。 この日から少し前向きに生きてみようと思いましたとさ。[...]
逃げられない親知らず2
飛び込みで来たのは建設現場で一生懸命働いてる作業着が年季の入ったお兄ちゃん風の男性でした。 痛いから抜きたいとおっしゃってます。 内心ビビりながらも新人と悟られないようにレントゲンを取って確認してみました。 水平埋伏と行って大学病院(口腔外科)の先生が抜くやつです。 僕はまだ現場に出ていいとこ2-3ヶ月だったと思います。抜けるわけがありません。 新人と思われると舐められるので、毅然とした態度で、腫れているので一回抗生物質(今はほとんど出さないですが)と痛み止めを飲んで、腫れが治ってから抜きましょう!と説明しました。 これでこの場は凌げると思った矢先。 患者さんは「今日しか時間が無い、痛くて辛いから一思いに今日抜いてくれ!」と いやー、無理っしょ俺じゃあ… 続く
逃げられない親知らず
実習の知識だけで、なんとか凌いでましたが、母は一向に診療中は部屋から出て来ません。 当時の状況を少し詳しく説明すると、僕の実家は義父が河合歯科で診療して、母が小島歯科を管理してました。 僕は母の管理する小島歯科に務めつことになったのですが、義父がとんでもないケチだったため給料は12万円でした。(最初の約束は35万) まあ身内に嘘をつかれてこき使われてたわけですが、ある日急患が飛び込みで入って参りました。 「親知らずが痛いから先生どうにかしてくれ!」と… 続く
教科書が友達
学生時代はアメフト部に入り勉強は全くせず、常に赤点。講義は3年分寝た私ですが、実習だけは楽しかったです。できない人の分も手伝って上手になりました。 当然学生時代の教科書など一冊も買っておらず、読む本も無いのですが、実家に眠っていたボロボロのクラウンブリッジの教科書を見つけそれを見て石膏模型で歯を削る練習を独学でスタートしました。 周りの友達は研修施設に行き厳しくも教えてもらえる環境で、嫉妬しました。 実習の知識しか持たない僕は古い教科書をみてただただ合っているか合っていないのかすらも分からない模型実習をただただ繰り返すのでした。 この時は母に騙されたと心底自分の決断に後悔をしました。 続く
暗黒歯科人生の幕開け
研修の受け入れ先にも挨拶に行き。5年間噛み合わせと被せ物、歯の根の治療や矯正を一通り学びに自分で先輩のところにご挨拶に行きました。今でも忘れないのが、とても親身で優しい先生でした。かつ厳しく僕の理想となる新しい職場だと確信してました。当然その事を母も歯科医師で再婚相手の義理の父も両親とも日大歯学部を卒業していたので理解してもらえると思ったのですが、大間違いでした。母は「そんな研修なんてやってる場合じゃ無い。今すぐに実家に入って手伝え。」と言いました。僕は泣く泣く諦めて先輩に一報入れ実家に入ることになってしまいました。実家での診療日初日。母は全ての診療を放棄して、部屋から出てくるのをやめました。続く
これからよろしくお願いします。
本日からブログを初めてみようと思います。 よろしくお願いいたします。 まずは自己紹介から始めたいと思います。 私は1980年埼玉県の上尾市で生まれました。 実家は祖父から続く歯科医院で僕で3代目です。 なぜ僕が羽生で河合歯科医院を開業できたかは後ほどご説明致しますが、 歯の話よりも僕がなぜ今ここで診療できているのか、そこまでに至った経緯の方が病気を治すヒントになると思うのでなるべく隠さずお伝えできればと思います。 よろしくお願いいたします。 2005年に明海大学歯学部を卒業しまして、晴れて国家資格も手に入れ、これからは困った人を助けるために頑張るぞと、当時25歳の初々しい新人歯科医でした。周りの友達も当時は研修期間がありませんでした(今は1年あります)真面目なとゆうか腕を付けたい僕はもちろん福島の先輩のところで研修を受けて一人前になって実家を継ぐものだと思ってました。 早く人の役に立ちたい、親孝行もして子どもも立派な歯医者にしたいと…[...]
